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沖縄で愛されて30年。沖縄ポッカコーポレーションが「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」に込める思いとこれから

沖縄旅行に行くと、コンビニやスーパーなどで“さんぴん茶”を購入して飲むという人も多いかもしれません。

実は、1993年に日本ではじめて缶入りの「さんぴん茶」を発売したのが、株式会社沖縄ポッカコーポレーション※(以下沖縄ポッカ)です。

沖縄ポッカ設立後、はじめての主力商品となったのが「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」でした。発売以来、品質にこだわったグレードの高い茶葉を使用して、味と香りにこだわり続け、“元祖”としての地位を確立しています。
 
今年、発売から30周年を迎え、さんぴん茶に対する沖縄ポッカの社員の思い入れも深いものがあります。そこで、今回は、「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」のこれまでの歩みとこれからについて、1995年に入社した営業部販売課の大嵩利典さん、2012年入社営業部販売課の井坂周作さん、2022年入社営業部販売課の亀田みすずさん、そして代表取締役社長に今年就任した北村嘉洋さんにお話をうかがいました。
(トップの写真:左から井坂さん、北村さん、大嵩さん、亀田さん)


昔から愛飲されてきた、沖縄県民のソウルドリンク「さんぴん茶」


さんぴん茶を囲み、座談会の様子

――大嵩さん、井坂さん、亀田さんは生まれも育ちも沖縄だとうかがいましたが、そもそもさんぴん茶は沖縄県民にとってどういう存在なのでしょうか。

大嵩:さんぴん茶は、琉球王朝時代に中国から伝わったそうです。広く庶民に飲まれるようになったのは、1901年に沖縄の尚家財閥である貿易商社が中国・福州に製造工場を構えたことがきっかけだと考えられています。

 戦後は、お湯を沸かしたやかんにさんぴん茶の茶葉を入れて、温かいままでも冷めてからでもおいしく飲まれていました。水筒がない時代には、農家の人たちがやかんごと畑へ持参して畑仕事の合間に飲んでいたそうです。

 井坂:僕が子どもの頃も、祖母の家ではよく急須に入った温かいさんぴん茶を飲んでいましたね。家庭の食卓にはやかんや急須で入れたさんぴん茶が日常的に飲まれていたので、それが「さんぴん茶=沖縄のソウルドリンク」といわれる理由だと思います。

 今ではペットボトルのさんぴん茶が当たり前になってきて、幅広い世代が飲むお茶になりました。さんぴん茶のさっぱりとした口当たりとほろ苦い喉ごしが脂っこい沖縄料理とよく合うんですよ。

亀田:私が生まれた頃には、すでにペットボトルのさんぴん茶が発売されていました。中学生の時は、夏休みの部活帰りに自動販売機で冷たいさんぴん茶を買って友人とよく飲んでいました。祖父母の家では、温かいお茶といえばさんぴん茶でしたね。
 
ときどき、「ジャスミン茶とさんぴん茶って何が違うの?」と聞かれますが、基本的には同じなんです。さんぴんという呼び名は中国語の俗称・香片(シャンピエン)から来たと言われています。沖縄では「シャンピエン」が「さんぴん」として広まり、沖縄方言の呼び名で「さんぴん茶」と呼ばれるようになったそうです。

1993年に、日本初の缶入りさんぴん茶を発売。しかし、すぐには売れなかった


――「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」はいつから発売されているのでしょうか。

大嵩:当社が1993年に日本初の缶入りさんぴん茶を発売し、1994年に1.5Lのペットボトル、1997年から500mlペットボトルの販売を開始しました。現在は500ml・600ml・2Lのペットボトルと、冷温両用のティーバッグタイプを発売しており、すべて沖縄限定販売です。

――亀田さんが生まれる前から発売されているということになりますが、入社する前は「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」に対してどういう思いを持っていたのですか。
 
亀田:入社前から「ポッカといえば、さんぴん茶」というイメージがあって、身近な人に就職を報告したときも「さんぴん茶のポッカだね」と言ってくれる方が多かったです。入社後にポッカのさんぴん茶が実は「元祖」だったと知り、驚いたとともに誇らしかったですね。この商品を次世代へ繋げていく責任を感じました。

発売直後の頃を語る大嵩さん

――大嵩さんは、「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」の発売直後に入社されたんですよね。

大嵩:はい。ただ、1993年の販売当時はなかなか売れなかったと聞いています。

――なかなか売れなかったのにはどういった理由があったのでしょうか。

大嵩:沖縄が歩んできた歴史も要因のひとつです。アメリカ統治下だった影響で、アメリカ文化が浸透していた沖縄では、1990年代でもその名残があって、老若男女問わず、日常的に炭酸飲料や甘い紅茶が好まれていました。お茶であれば、やかんで沸かしたさんぴん茶を温かいままか冷まして常温で飲むのが当たり前だったので、冷たいさんぴん茶を飲む習慣がなく、さんぴん茶を冷蔵庫で冷やすという発想もなかったんです。
 
しかも、さんぴん茶は家で簡単に作れます。お金を出してまで冷たいさんぴん茶を買うことには抵抗があった時代でした。得意先からも「これは売れないよ」といった否定的な意見も多かったそうです。

それでも、沖縄ポッカ設立の際に自社工場を構えたこともあり、「なんとかしてこの工場から沖縄独自のヒット商品を生み出したい」という思いが強かったことから、あきらめることなく販売戦略を練っていたと聞いています。

商品立ち上げ期の苦労に耳を傾ける亀田さんと井坂さん

――そういった状況でどのように売上を伸ばしていこうと工夫されたのでしょうか。

大嵩:得意先であった問屋の社長さんから「沖縄特産と入れてみたら?」とアドバイスをもらい、缶のパッケージに記載したところ、スーパーが珍しがってくれて商品の採用が増えたそうです。

さらにもっと多くの人に商品を知ってもらおうと、那覇空港でタクシーの運転手さんに缶のさんぴん茶を配布するサンプリングも実施しました。タクシーに乗車した観光客にドリンクホルダーに入った缶のさんぴん茶が目に留まるという宣伝効果が功を奏し、徐々に売れ始めたそうです。

「沖縄特産」と入った発売初期の缶

――さらに認知を広げるために、どういった宣伝を展開していったのでしょうか。

大嵩:少しずつ売れ始めた頃、スーパーの方から若い人もさんぴん茶を購入していると聞き、1997年に沖縄の高校生を起用したTVCMを制作しました。子どもの頃からなじみのある沖縄のわらべ歌「じんじん」をアレンジして、歌詞に「チャッチャッ、チャチャチャー。ポッカ、ポッカ」という覚えやすいフレーズを使ったんです。

オンエア後は効果てきめんでした。一度撤退したコンビニでの再採用が決まり、自動販売機を置いてほしいと問い合わせが増えました。この頃は自販機にさんぴん茶を何度補充しても全く間に合わず、少し嫌になるくらいの忙しさでしたね(笑)。
 
井坂:CMの公開当時、僕は中学生でした。商品名の「ポッカのさんぴん茶」というフレーズが歌と一緒に記憶に残って、なぜか自然とメロディを口ずさんでしまうんですよね。

CMのインパクトが強くて、身近な人がさんぴん茶を缶やペットボトルで飲み始めたのを覚えています。さんぴん茶がコンビニやスーパーにも並び始めたことで、外で買う飲み物の選択肢が増えたと感じました。

当時のCMのインパクトを語る井坂さん

大嵩:CMだけでなく、1990年代後半における沖縄出身アーティストの飛躍や、2000年に開催された九州・沖縄サミット、さらに2001年に放映されたNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」などを機に、全国的に沖縄の一大ブームが到来したことも追い風になりました。驚異的な勢いで、さんぴん茶が売れていったのです。

こうして「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」が沖縄ポッカの主力商品になっていきました。個人的には売れ始めから大ヒットにつながるまでを現場で体験できたのは嬉しかったですね。

30周年を迎えてなお、“元祖”さんぴん茶としての歩みを生かし、挑戦し続けたい


――今年、「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」は発売から30周年を迎えました。現在はどのような展開をしているのでしょうか。
 
井坂:現在「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」を新パッケージで提供しているのですが、「愛されちゃちゃちゃ」というメッセージとハートのアイコンをデザインに施しました。これまでの30年間、沖縄県民の皆さまに愛されてきましたが、今後も引き続き愛してもらえたらとの願いを込めています。

今年2023年に発売した600mlと2Lのペットボトル

新CMには、最初のTVCMから使用している沖縄わらべ歌「じんじん」をコミカルな現代版にアレンジしたものを採用しています。1997年当時のTVCMを想起させる「♪ちゃ♪ちゃ♪ちゃ」というフレーズは当時を懐かしく感じてもらえると思います。当時を知らない我が家の子どもも、このCMソングを口ずさんでいます。

歴代商品と「愛されちゃちゃちゃ」のメッセージ

大嵩:缶やペットボトルにおいて「さんぴん茶=黄色」というパッケージは当社が最初に採用したのですが、他社商品も似たようなパッケージで発売されているため、差別化が難しいと感じています。

ただ、当社は缶入りさんぴん茶を発売した「元祖」。ここは他社には真似できないからこそ、元祖であることをパッケージや広告、CMでも打ち出しています。そして、冷やしても香り豊かなさんぴん茶を提供するために、数ある茶葉の中からグレードの高い茶葉を使用し、現在も品質や味わいを守りながら提供しています。

「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」を通じた首里城復興支援も


――「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」の売上の一部を、2019年に火災で焼失した首里城の復興支援のために寄付しているそうですね。

大嵩:はい。 2019年の首里城火災は、大変ショッキングな出来事でした。当社でも何かできないかと考えて、いつでも身近に首里城を感じてほしいという思いから、2020年から首里城をデザインしたパッケージのさんぴん茶を販売し、その売上の一部を寄付する形で応援しています。首里城再建が完了予定である2026年まで毎年寄付を続けます。

2022年12月 寄附金贈呈式の写真(提供:沖縄タイムス社)
右から沖縄県池田副知事/沖縄ポッカ 前社長本田さん、大嵩さん

井坂:首里城火災が起こったとき、僕はポッカサッポロの東京の部署に出向中でした。ニュースを聞いたときは放心状態で……。「沖縄が大変なことになってるね」と心配して声を掛けてくれる人もいたものの、現地で気持ちを分かち合えない歯がゆさもありました。でも、沖縄ポッカが首里城復興支援に向けて動いていると聞いて、温かい気持ちになったんです。また、2021年に沖縄に戻ってきた時に、さんぴん茶のパッケージに首里城が描かれていて感動しました。

2022年に沖縄県民を対象に実施したグループインタビューでは「首里城再建を支援しているから、ポッカさんぴん茶を購入している」といった嬉しい感想もいただきました。県民の皆さんにも私たちの思いが届いているとわかり、支援を続けていてよかったなと思いましたね。

沖縄の歴史あるものを次世代に繋げていく大切さを語る亀田さん

亀田:沖縄では、今、伝統文化の継承が課題になっています。だからこそ、さんぴん茶を通じて首里城復興へ寄付することは価値があると思うんです。伝統文化継承のために何かしたいと思っていても、何をすればいいかわからないという人も少なくないですから、「飲むだけで沖縄に貢献できる」という体験は、そのきっかけにもなるのではないかと思っています。

さんぴん茶だけでなく、沖縄料理や伝統文化、世界遺産の首里城公園など、沖縄の歴史あるものを次世代にもつなげていきたいという想いを持つ人が増えたら嬉しいですね。

沖縄県民の皆さんに愛され続けるさんぴん茶を目指して


――今後、どのような思いで「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」を販売していきたいですか。

大嵩:近年、沖縄の人たちが県外の飲食物を好む傾向にあり、沖縄料理を好んで食べる人も少なくなっていると言われているため、今後“さんぴん茶離れ”も増えてくるのではないかと危惧しています。だからこそ「お茶を飲むなら、ポッカのさんぴん茶だよね!」と県民の記憶の奥底に残るような施策を今後も考えていきたいです。
 
井坂: 今後も消費者の立場で常にアンテナを張って、お客様の声を拾って課題と向き合わなければと思っています。皆さんに評価されている味は絶対に守り続けていかなければならないし、愛を持ってさんぴん茶を売っていきたいですね。
 
亀田:沖縄のソウルドリンクとして、これから先もポッカのさんぴん茶が世代を超えて選ばれるよう、子どもたちにも飲んでもらえる施策を考えていきたいです。

県民の皆さんに愛され続けるために伝えていきたいことを語る北村社長

――最後に、北村社長からも、これからの「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」に込める思いをお聞かせいただきたいです。

北村社長:今年、沖縄ポッカコーポレーションの代表取締役に就任しました。就任前も出張などでたびたび訪れていたのですが、実際に沖縄で暮らしてみると、県内の至るところにポッカのさんぴん茶を買える場所があって、地元に根づいた商品だと実感しています。だからこそ、ここをしっかり守りぬかなければならないと感じましたね。

我々のこだわりは、グレードが高い茶葉を使い続けること。さんぴん茶の「元祖」といえば、沖縄ポッカだと県民の皆さんに意識してもらえるように提供できるかが課題だと思っています。

沖縄県民に根づいたさんぴん茶の味を最初にパッケージングしたのが沖縄ポッカですから、県民の皆さんに愛され続けることが最も大切なこと。「元祖 沖縄ポッカさんぴん茶」が愛され続けるために、慣れ親しんでいただいている味わいを守っていくことや、今までの歩みを生かして新しいことに挑戦したり、沖縄や地域のためにできることを考えたりしながら、誠心誠意伝えていきたいと思っています。

沖縄ポッカコーポレーションの事務所にて

※株式会社沖縄ポッカコーポレーションはポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社のグループ企業として沖縄県で清涼飲料水並びに食品(ポッカレモン100やスープなど)を販売。沖縄限定商品の県産茶3品(さんぴん茶、グァバ茶、ハイビスカスティー)も主力商品として販売しています。


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